こんにちはみのるです。
このブログにお越しいただきありがとうございます!
ぼくは「自分の市場価値を高めて会社でも個人でも自由に」をテーマに発信をしております。
現在は一部上場企業の会社員として仕事をしながら、副業で「ブログ運営」や「コンサルタント」として活動しています。
個人としては、オフの時間を使って自分でブログを書いて月20万円を稼いでいましたが、「これじゃ効率が悪い!」と感じ、現在は複数のライターさんにご協力をいただき「ブログの完全外注化」でブログに時間をかけずに月収40万円を稼いでいます。
会社では営業戦略の最前線で働き、個人でも最小限の労力で収益を得ることで、金銭的・時間的なゆとりができました。
今では、お気に入りのカフェで時間を気にせず読書をしたり、一眼レフカメラを買って新宿御苑をブラブラ散歩してみたり、お金や時間をかけて興味があることに挑戦できるようになりました。
このように会社でも個人でも自由に生きることをモットーとして、働き方を自分で決めています。
今では多様な場所で自分の価値を発揮し収入を得ているぼくですが、「なぜ」そして「どのように」現在に至ったのかを紹介させてください。
- 会社で必死に働いているのに認められず活躍できていない
- このまま会社で働いていても多様性のあるスキルがつかない…!
- 今の働き方が将来通用するのか不安に思っている
- 会社や組織に縛られずに収入や自分の可能性を伸ばしたい
そんな方々が、自分の可能性を見つけ様々な場所で活躍できるようになる。
そのためにぼくの経験や知識を役立てていきたいと思い情報を発信しています。
Contents
憧れのスーパーマンに出会ったことで人生の軸が決まった!
ぼくが小学校の頃、憧れていた人がいました。
母の友人である外国人留学生のお兄ちゃんです。
彼は20代前半という若さで自分で会社を起こし、会社や組織に囚われることなく自分の居場所を選んで働いていました。
しかも、病気の弟の治療費を稼いでいたり、周囲の人を助けていてとても慕われていました
なんや、この人、、めちゃくちゃスーパーマンやんけ。。。
とその人を知った時に衝撃が走りました!
ぼくは幼いながらに、会社に縛られない生き方や周囲に求められる存在である彼に憧れを抱いていました。
大人になったら彼みたいになりたい!
彼のようにバリバリ働いて、
周囲の人からも求められるし、自分で自分の場所を選べる人になりたい!そう強く思いました。
日本でTOP3の大企業に就職
ぼくは大学卒業と共に日本でも利益で3本の指に入る大企業に就職しました。
選ばれなかった新卒時代
新卒にありがちですが、ぼくは入社後、理想と現実のギャップに愕然とします。
入社時の希望は「企画職」でした。
しかしぼくの思いとは裏腹に、配属されたのは「営業職」でした。
企画に行く同期はぼくより学歴があったり何かしら企画を立ち上げた経験がある人ばかり。
ぼくは「自分は企画職に選ばれるほど価値がないと判断されたんだ。」と気づきました。
しかも人付き合いが下手なのによりによって営業。
ぼくは不安になり上司に相談しましたが「今の場所で成果を出さないと何も聞いてもらえないぞ」と言われてしましました。
自分の適性とは思えませんでしたが、ぼくは営業を頑張るしかありませんでした。
苦手な営業の仕事を自分を殺して一生懸命やってみた
営業時代はぼくの黒歴史になりました。
予想通り営業の仕事が全然できなかったからです。
毎日一人で100通を超えるメールの対応をし、担当店舗の課題を洗い出して修正策を上司に報告する。
毎週取引先に商談にいきましたが、その度に100枚ほどの資料を作るため、徹夜を余儀なくされました。
要領が悪いぼくは、誰もいなくなった暗いオフィスで、眠い目をゴシゴシ擦り、レッドブルを飲んだり、ブラックブラックガムをボリボリ頬張りながら夜通しカタカタPCを打ちました。
そして、上司と取引先の板挟みにあって仕事が進まず焦ってばかりいました。
当時のぼくにはキャパオーバーな業務だったのです。
もちろん仕事の取りこぼしは増えていきます。
・取引先への案内が漏れる。
・メールで届いていた確認事項を見逃す。
・新店舗の準備に必要な発注が遅れる。
営業成績も上がることはなく、出社すると上司に呼び出されて周囲が見ている前で「お前はほんまなんもできひんな!」と叱責される。
苦手な先輩には馬鹿にされ、課の全体メールで「ゴミ営業」と晒し者にされたりしました。
いつしかぼくは少しのミスを指摘されるだけでまぶたが痙攣したり、指が震えるようになっていきます。
精神的に追い詰められながらも希望の部署に行くため、ぼくは無理して仕事を続けました。
朝7時から深夜2時まで仕事をし、休日もカフェで現場確認や資料作成をする。
自分を削りながら歯を食いしばって仕事をした結果、ぼくは4年目にしてなんとか認められる実績を出すことができたのです。
この時はあまりに嬉しくて自宅で一人泣いてしまいました。
転職したら年収が100万円下がる
成果を出したぼくは自信を持って企画職への異動を申請しました。
がしかし!ぼくの希望は通らなかったのです。
「営業から企画にきても活躍できないでしょ!検討の余地なし!」そう判断されたようでした。
「こんなにも身を削って頑張ったのに!こんな会社やめてやる!」
会社に裏切られたように感じたぼくは、半分キレながら転職を決意します。
もともと誰もが名前を知っているような大企業で働いていますし、仕事量も周囲の友人の何倍かは働いていました。
何より入社4年目でそこそこの実績を持っています。
「自分は優良物件!絶対良い転職先が見つかるに決まってる!」
転職活動を始める前はこんな風に思っていました。
しかし、現実は厳しく、どこに相談をしても
「希望されている仕事で紹介できるものは、年収が100万円は下がりますよ」
と言われてしまいます。
「あんなに働いた自分の市場価値って今より100万円も下なの!??」と驚きました。
上司に詰められて、先輩に笑いものにされて、それでも成果が出るまで自分の時間を潰して働いたのに、社内からも社外からも価値が低い人間だと言われるなんて。。
ぼくは何を目標にすればいいのか、わからなくなりました。
このまま嫌いな仕事から抜け出せず、パッとしないおじさん社員になるんだなと思うと悔しくて苦しくてしょうがありませんでした。
起業した大学の先輩との出会い
そうして目標を失っていたある日、たまたま大学時代の先輩が大企業を退職し、独立して働いている噂を聞きました。
会社に絶望していたぼくは早速先輩にコンタクトを取ってみました。
すると先輩は「ブログで稼ぎ出したことがきっかけでネットビジネスで独立した!」と教えてくれました。
先輩は年収3,000万円稼ぎながらも、午前中だけ働いて午後は自分の時間に使ったり、仕事仲間を自分で決めたりと働き方を自分で決めていました。
先輩のライフスタイルはまさに「ぼくの憧れた働き方」そのものでした。
先輩の話を聞いて、自分もネットビジネスで活躍して会社に人生を左右されないようになれるかもしれない!と考えました。
しかし、よくよく考えると先輩は大学時代からサークルの代表としてライブを作ったり、市役所に企画を持ち込んで街ぐるみのイベントを立ち上げたりするイケイケな人でした。
一方、大学時代のぼくは影の薄い補欠のような部員です。
そもそも先輩はビジネスの才能があったから成功したのかもしれません。
ましてぼくは要領も悪く、PCのエクセル操作一つとっても人の倍時間をかけてしまうほどPCが苦手です。
才能もなくPCスキルの低いぼくにはネットビジネスで成功できる自信はありませんでした。
そんな時にふとあるニュース記事が目に止まります。
そのニュースには「80歳以上の老人の7割が人生で一番後悔していることに”チャレンジしなかったこと”と答えている」と載っていました。
今まさに自分がそのチャレンジをする、しないの分かれ道にいる気がしました。
ネットビジネスに挑戦すれば自分の理想のスーパーマンになれるかもしれない。
でも挑戦しなければパッとしないおじさん社員で終わってしまう。
挑戦せずにパッとしない人生を毎日憂鬱に過ごすのなんて嫌だ!
だったら後悔しないように挑戦してやろう!
ぼくはそう決断してネットビジネスを始めました。
ブログで月収21万円を達成!自分一人でも稼げるように!
実践当初は本当に自分が稼げるようになるのか甚だ疑問でした。
ブログをやり出したはいいものの1記事5時間かけて収入は0円。
おまけに会社の仕事もあったので、帰った時にはヘトヘトでブログが書けない日もありました。
しかし、挑戦すると決めた手前こんな中途半端には終われません。
ぼくは先輩にコンサルをしてもらい、記事の書き方だけではなく、自分の思考や行動を変えて、とにかく会社とブログ運営を両立できるように改善を繰り返しました。
最初は月収1,500円だった収入も、仕事帰りにカフェに寄って強制的に作業する中で2万円になり、朝5時に起きて朝一の情報を記事にするうちに8万円になり、気づけば月収20万円を稼ぐことができるようになっていたのです。
価値が低いと言われた自分が会社の給料並みに稼いでいる。
そのことが自分の自信につながり、もっとできることを増やしたいと前向きに考えられるようになりました。
完全外注化でブログを書かずに月収45万円を達成!
さらに、ぼくは仲間を作ってより大きな成果を出せるようになりたいと考えて「ブログの外注化」を目指しました。
初めはうまくいかないこともありましたが、マニュアルを作り外注の仕組みを整えていくことで仲間を増やすことができました。
ライターさんと新しくメディアを作っていく過程は楽しく、小さくも事業のリーダーとして旗を振って実績を出す経験は自分の力になりました。
結果として、「ブログの完全外注化」に成功し、自分では1記事も書いていないのに月収45万円をブログで稼ぐことができました。
会社の給料を超えて稼げたこと、仲間たちと自分だけではできない仕事を達成できたことで会社に囚われなくていい実感を持てましたし、閉塞感しか感じなかった自分の世界が広がっていくように感じました。
※合計:45万円の収益画像
ブログのスキルで自分の市場価値を証明する!
完全外注化で40万円稼いだ頃に印象的な出来事がありました。
久しぶりに友人とご飯に行った時のことです。
友人は新婚だったのですが、「自分の給料が低くて家族を満足に養えるか不安だ。」と話していました。
ぼくがブログで収入を得られると話すと詳しく教えて欲しいと言われ、アドバイスをしたところとても喜んでくれたのです。
また、一緒にお仕事をしているライターさんに「いつもお仕事ありがとうございます。」と言っていただけたことがありました。
日頃助けてもらっていると思っていたのですが、実はぼくがライターさんに収入を増やす仕事を作れていたのです。
ぼくはブログで稼ぐスキルを使い周りの人たちに価値を提供できました。
きっとこれが「自分の市場価値を証明できた」ことなのだと実感しましたし、何より友人を笑顔にできたことやライターさんに感謝してもらえたことが本当に嬉しかったです。
ぼくには目標があります。
・昔のぼくのように会社の仕事で迷っている人
・友人のように一生懸命働いても給料が低くて困っている人
・ライターさんのように働く環境に悩んでいる人
こう言った方々の課題に対して自分の経験やスキルで解決のお手伝いをすること。
また、一度は価値が低いと判断された会社に対してもブログで身につけたスキルをさらに伸ばして企業の集客やメディア構築の課題を解決できるようになり企画職で活躍すること。
ブログで身につけたスキルを生かして周囲に価値を提供していく、そうしてぼくに関わってくれた人たちを笑顔にしていき、自分の市場価値を証明して行こうと考えています。
会社でも個人でも活躍したい人ほど会社の外でスキルをつけよう!
会社の中と外で仕事をしてみて実感したことがあります。
それは「会社の中でも、個人としても活躍したければ、会社の外でスキルをつけるべき」ということです。
ぼくは会社の中で一生懸命働いて自分の価値が低くなる失敗をしました。
当時のぼくには転職も独立もできる力はありませんでした。
しかし、この状態はぼくが特別だったわけではなく、多くの会社員の方々が感じられていることだと思います。
なぜなら、会社の仕事はすでに収益を上げているシステムのごく一部を切り取った「誰にでもできる仕事」に過ぎないからです。
会社の仕事を一生懸命するということは「会社のシステムに自分を最適化していくこと」で、自分の仕事の領域や会社自体から出てしまうと自分の価値が落ちてしまいます。
もちろん20代のうちはポテンシャル採用をしてくれる会社もあるでしょう。
営業であれば同じ営業職の共通スキルを買われて転職することもできるでしょう。
ですがそれでは結局「会社のシステムに自分を最適化させる」ことから抜け出せず自由に働くことはできません。
であれば個人で会社の中も外も関係なく活躍するにはどうすればいいのか?
ぼくが見つけた答えは会社関係なくどこにでも通用するスキルを身につけることで、そのスキルが「ブログ」でした。
ぼくが実践したブログ収益化スキル、外注化スキルを身につけられると
- 週3~4時間働いて月収40万円稼ぐことができるようになる
- 会社に依存することなくどこでも自由に働くことができるようになる
- ライターさんと適切にコミュニケーションを取りながら収益を出させるマネジメントスキルが身に付く
そうして、自分の市場価値を上げて自由に働き方を選べるようになります。
もしあなたが会社で働くことに不安や不満、どうしようもない辛さを抱えて生きているのであればぜひこのブログから情報を受け取ってみてください。
どんなきっかけでも良いと思います。
まずは今の環境の外にもあなたの生活を良くして夢を叶えてくれるものが存在することを知ってください。
例え今は不可能に思えても新しい情報に触れるだけであなたの人生は少しずつ、一歩一歩変わっていきます。
「自分の市場価値を高めて会社でも個人でも自由に」
ぼく自身の経験やスキルを発信していくことで、一人でも多くの方に自分の市場価値を高めて自分らしく豊かな生活を送るきっかけを作っていきたい。そんな思いを込めてこのブログでは様々な情報を発信していきます。